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常熱制作日誌

よろずやサークル・常熱大陸の制作日誌です。中の人は蒼屋真澄(Twitter:@masumiaoya)。

データと運要素のハナシ

 こんにちは、蒼屋真澄です。

 昨今は体調を崩してしまいまして。行く予定だった試合なり予定なりを止めてまで静養していますが、いかがお過ごしでしょうか。

 

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 写真:さくらさくら

 

 さて、今回はデータ論のお話です。

 

  今回はたまたまこの元ネタが流れてきまして。高校野球大会において、昨今の高校生は血眼になってデータスカウティングをし、その結果、致命的なミスになってしまった試合もある。だから、データに頼りすぎるのはどうか、ということについてのお話です。

 

 

 

 私として先述のツイートが本音なのですが、勝ち負けってデータで片付けられるものかなって考えています。

 私自身、試合に出る人間サイドの感性も持っていますし、思考もできます。試合前は「負けたらどうしよう」という不安感が強いのは事実です。勝ち残れば、有力大学の硬式野球部からのオファーがあるなんて話は実際に監督の頭の中にはあるかと思われますしね。

 そんな皮算用と選手の不安感を解消するのは相手対策のデータ。一日に何戦もする卓球のような競技(この間の世界卓球ではダブルヘッダーもあった。全日本選手権でも基本的に複数試合)とは異なり、野球やサッカーではなかなかダブルヘッダーって行わないんですよね。それ故に調整の時間ができる。データ収集が部員・スタッフの多いチームだと想像以上に多くできてしまうのも事実なんですよね。

 以前、高校野球の都大会へ観戦に行ったときの話ですが、こんな看板があったんです。「ビデオ撮影禁止 東京都高校野球連盟」って。それは何を意味するか。チアリーディングへの盗撮というかなり疾しい視点もありますが、本音は過度なデータ依存をやめてくださいということなのでしょうか。

 全国大会レベルにもなってくると、現在のスマートフォン技術は発展してきているので、スマートフォンで録画した映像をテレビに映し出す。それが宿舎でもできてしまうんですよね。上の大会ならまだしも、先の話は都大会の主要球場・明治神宮野球場ではなく、その他のスタジアムだったもの。それを考慮しても、過度なデータスカウティングはよくないと私は思うんですよね。

 大学野球でも、東大硬式野球部が昨年勝利しました。その時にデータスカウティングをして、髙山(当時明大・現阪神)は一塁到達タイムがどのくらいだから、それまでに一塁送球する。森川(法大)だと~といった具合に選手に合わせたケースを考えて勝利につなげたという話です。

 しかし、先のツイートのリンクにある話によれば、「確実性のあるプレーができることが前提条件。高校生はそこまで安定したプレーができないのが現実ではないか。だから、データスカウティングに頼ったプレーではなく、プレーをしてほしい」ということです。

 確かに高校生ではなかなか風や天候、心理状態を読むのは難しいですよね。データ活用も当然のことながら、確実性がないと使えないのは私も同意できることです。東大野球部は練習量の多さを考えても、相当のものと伺っておりますし、そういったデータスカウティングと基礎能力をしっかりと噛み合わせた上での挑戦は日本の最高学府たる東大生だからこそできることではないでしょうか。そこまでの地頭があればの話ですが、いくら野球脳が高くても、データ活用は得手不得手が出てしまいがちなのもまた事実なのではないかと私は考えるのです。

 だからこそ、データに頼った、いや、頼りすぎて致命的なミスになってしまったプレーも多いのかなと思われます。今回の選抜、録画したものを見直して観てみましたが、決勝戦・高松商の得点シーンを例にとってみてみると、ヒット→バント→タイムリーまでが僅か3球なんですよね。昨今のデータ野球では相手の出方をうかがってと考えるかと思われます。しかし、こうも電撃戦よろしく仕掛けられたらどうでしょうか。相手に考えさせる間を潰す。データを使う時間をなくす。その時点でこっちのもんなんですよね。それが上手かったのが高松商にあったものかなと考えられます。

 つまり、データスカウティングを必要以上に依存してしまうと、勢いも殺してしまう。東大生レベルの活用能力があるなどの上手さがあって初めてデータは活きてくる。基礎能力は大前提。だが、天候等の不規則性を考えられるとは思えない高校生にデータは難しい。むしろ、天候等の「運」とも呼べる要素を味方につけること。いわゆる「甲子園のマモノ」や「神宮球場のマモノ」を身に着ける必要があるのではないかと私は考えます。

 そのマモノはちらっと話してしまったが、天候要素、グラウンド状態、相手の心理状態。その全てを読める人間にこそ「マモノ」は味方になってくれるのではないかと思われます。

 これは高校でも大学でも、社会人でもプロでも、そして、一般社会でも。冷静になって考える力が大事になってきます。相手はどんなことをしてくるのを顔を見て読む。風を読む。グラウンドは固いのかどうか。湿度はどうかなど。それこそ、野球は必要以上に頭を使わなくてはいけないです。それはサッカーなどの他競技でも同じ。ピッチ状態はどうか、風上だとクロスがゴールラインを割りやすい。そうだとすると、どうやってクロスボールを中央へ供給するかなど。いろいろ考えられます。

 

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 写真:赤羽スポーツの森(所謂赤スポ)

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 写真:大井埠頭第二球技場。この2つをもってしても、気候・ピッチが同じではないことに留意。


 それを考える力を養うべきではないのか、と。データはあくまでも過去の「事例」と私は先述のツイートで言っているが、まさにその通りです。同じ天候・心理状態・グラウンド状態は二度とない。二度内からこそ、データの信用性は完全ではなくなります。あくまでも「保険レベル」になるのはお判りでしょう。技術はともかく、プレー結果はほぼ「事例」です。それを逆に活用するのは難しいことではないでしょうか。プロや大学、社会人のカテゴリならできる話ですが、高校生のような技術が安定的に出しにくいカテゴリではなかなかそうなりにくい、というのは私が繰り返し話していることです。

 つまり、データよりも「読む力」の醸成。これがこれからのスポーツ指導において一番大事なことではないでしょうか。私はこう思います。

 

 ということで、今回はスポーツのデータ論について話しました。大変長文となってしまいましたが、読んでいただきましてありがとうございました。それでは。